フランスのパリでは1854年、ルイーヴィトンが創業している。初代ルイーヴィトンは宮廷で、荷造り用木箱の製造職人兼荷造り職人として働いていた。1865年になると今度はロンドンで、タナー・クロールが創業する。タナー・クロールは狩猟道具用のバッグやスーツケースで有名だが、歴史的傑作はむしろアタッシェケースである。英国で20世紀初頭にブームとなったアタッシェケースは、タナー・クロールによるところが大きい。山城屋が持ち帰ったものが、はたしていかなる鞄であったのか、詳らかではない。英国でのブームにつづいて、日本では1908年にアタッシェケース状の鞄が話題となっている。蝶番によって開く四角い木箱に革を貼ったもので、上部にふたつの鍵と革製のハンドルが付いていた。19世紀から20世紀初頭にかけて、新しい革製品がぞくぞくと登場する。書類を入れるためのブリーフケース、図面を収めるためのポートフォリオ、あるいは往診する医師が道具類を詰めるドクターズバッグ、いずれも近代都市化が進んだ時代の賜物だ。スーツケースの発達は旅と密接に繋かっていたが、アタッシェケースをはじめとする鞄の発達は都市化と切り離して考えることができない。
オンワードは、依然として卸に執着している。馬場の時代から広内の時代に変わっていても、新しい戦略が見えてこない。多くの場合、卸では売った先の小売店にまかせきりというのが多い。したがって、どれだけ不良在庫があるのかまるでわからない。それをなくすため、自費で派遣店員を出す。そのようにして情報をかき集める。その人件費を納入する商品に上乗せし、価格を設定する。だからいつになっても消費者は高いものを買わされている。また、返品してきたものをリフレッシュして再び別のルートへ納入するため物流コストもかさむ。消費者の味方だと言っても結局は建て前論だけで終わってしまう。それに対してワールドは、「それなら我々が直接、売場を管理して、売れ筋データを見ながらきめ細く商品を追加納入した方が、ロスもなく効率的である」という発想に立ち、SPA事業ヘシフトしたのだ。SPAは卸と違い、返品は一切認めない。完全買取り方式だ。返品がなくなることで、赤字の垂れ流しがなくなり、在庫過多や売掛金過多という資産効率の悪化を防げる。そして返品を認めない分、掛率を高くしたうえ、発注額も多く、短期間に現金決済するほど掛け率を上げられる。ワールドのプペパーの消化率は八〇%と高い。これは値引せずに正価で売れたパーセンテージであり、高いほど収益性は高まる。ところがオンワードは、旧態依然とした委託販売なのだ。
オーバ・コートという呼称は、詳らかではないものの18世紀には登場していたようだ。広く二月外で用いる外衣」のことであったが、やがて地名や人名などを冠した多種多様なコートがつくられるようになる。チェスターフィールドコートもそのひとつだ。クリミア戦争時のラグラン将軍に因んだラグランコート、ダブルの合わせとなった身頃をベルトで締めるアイルランド産の重厚な織物を使ったアルスタ・コート、ボタンがなくベルトで締めるだけのタイロッケンコート、などがこの時期、一斉に登場する。ヨーロッパ北部では本来は大きな毛皮襟を特徴としたひざ丈しい進化を遂げた。さらに戦争が近代化していくのに合わせて、防寒と防雨機能を兼ね備え塹壕内での行動に適したトレンチコートなども生まれる。変わったところでは、インバネスだろうか。19世紀に完成した男性用コートで、袖の代わりにケープがついているタイプだ。日本では鳶や二重回しなどと呼ばれた。日本の洋装史を見ると、1870年に大阪でインバネス専門店が開かれていたとある。スコットランド北部のハイランド州で生まれたとされるインバネスは20世紀に入ると、テイルコート(燕尾服)を着用したときのオーバ・コートとなっていく。アルセーヌールパンがマントを翻すのと対照的に、ジャーコッターホームズは3色の格子が重なったガンクラブチェックのインバネスを着ている、そんなイメージが強い。